御年73歳、来年芸道55周年を迎えるザ・ぼんち。1980年代初めの漫才ブームで一世を風靡するも解散、再結成と紆余曲折を経たレジェンドが、今年は「THE SECOND~漫才トーナメント」(以下ザセカンド)のグランプリファイナルへ進出を果たし、若い世代にも認知を広げた。「ザ・ぼんち芸道55周年記念単独ライブ〜漫才はとまらないッ〜」大阪公演を終えたおさむ師匠、まさと師匠にお話を伺いました!
やっぱりもうちょっと活躍したい
「ザ・ぼんち芸道55周年記念単独ライブ~漫才はとまらないッ~」大阪公演を終えられた今の気持ちを聞かせてください。
まさと ホッとしてます。12月は東京で、来年の台湾公演まで続くと思いますんで、とりあえずひとつ越えてホッとしてるとこですね。
おさむ 僕も終わってホッとしました。やっぱりNGKは看板の劇場ですからお客さんが入るか心配もあったんですけど、緞帳が上がる前にはもう満員のお客さんで、当日入れない人もいっぱいいたみたいです。めちゃくちゃ嬉しいですね。(おさむちゃんの芸風で)「やった!」。こんな感じです(一同笑)
私たち高校生にとっては、ザセカンドがザ・ぼんちさんを知る大きなきっかけになりました。大御所という立場で賞レースに挑まれることに、抵抗感や周りの反応はいかがでしたか?
おさむ 嬉しいです。ありがとうございます。
まさと 僕らには言わへんけども、先輩、仲間、後輩たちは、僕らが年いってるからいろいろお思いの方もいらっしゃったと思います。でも皆さんのような学生さん方が観に来るような、これから人気が出るような人たちが出演する劇場へも飛び込んだりして。それで、どれくらいの反応があるのか試してみようと(ザセカンドに)去年、今年と出てみたら、幸いにしてファイナルまで進んで皆さんに観ていただいた、ということですね。
おさむ チャレンジですね。とりあえずチャレンジせんことには何も答えは出ないんで。「ベテラン」や「師匠」と言われて収まってる場合やないと思うんですよ。収まってたら年いくし、チャレンジ精神が精神的に若くしてくれると思うんです。それに、若い人は漫才がめちゃくちゃ上手いんです。テンポも速いしね、もうついていけないんですけど、それでも僕は試してみたいね。
まさと 現在本を執筆中なのですが、ザセカンドについても書いてるんです。そこで書いたまとめの言葉がね、「一歩踏み出そう、景色が変わる」なんです。ザセカンドに出たら、そこで全然違うもんが見えたから。じっとしてたんでは何も見れないじゃないですか。だからこの言葉、書いといてください。
おさむ トンネルも穴掘れへんかったら光は見えないですからね。後ろに下がらず、掘って前に進むということですから、チャレンジする。「もう今まで活躍して来たでしょ、年寄りはもうよろしいやん」と言われるけどね。やっぱりもうちょっと活躍したい。若い人のおる劇場に僕たちが出たらアウェイなんですよ。お客さんも若手のファンの人ばっかりやから、僕らのこと知らんわけです。そこで、バーンと出た瞬間に掴みで思いっきりウケたら、”おっ、やった! 年寄りでもいける。じいちゃん頑張ってる“と思えるでしょ。電車で席を譲ってもらってる場合やないんですよ。立って、つり革持って、自分よりうんと若い後輩に「どうぞ」って譲るぐらいの気持ちでないとね。
まさと そりゃあ空いてる時は座りますよ?(一同笑)
ベスト8という結果をどのように思われていますか?
まさと なんか因縁めいたものも感じます。僕たちはコンビで誰が好きというのは、なかなか申しませんけども、金属バットさんの漫才は非常に評価してまして、ファイナルの一回戦でくじを引いたら…。そんな巡り合わせってあるねんね、一番やりたかった相手ですから。一番負けたくない相手に負けた時に、”こいつらならしゃあないか“と思うこともできました。金属バットさんとの一回戦は、視聴率6.2パーセントで、決勝戦よりも数字高かったそうですからね。
おさむ 注目度がすごかったですね。今日のインタビューでも皆さん「観た」って言ってくれたのはそういうことでしょうね。
縁で結ばれた55年
ザセカンドへの挑戦後、何か変化はありましたか?
まさと 変わりましたね。向かい風の50歳でコンビを復活して、還暦前ぐらいに今の形の原点みたいなんができてきて、それでもまだ風は吹いてませんでした。あのザセカンドの6分間の漫才をやった後は完全にフォローの追い風。今ちょっとしんどい時は、”ここは頑張りどころやな“と思ってます。
おさむ なんぼ頑張っても流れに乗れないことってあるんですよ。でも、頑張ってきたから流れに乗れたんかなと思ってます。やっぱり一生懸命やったら答えは必ず出ると思うんです。結果がええ悪いは別にして、答えは出ると思います。夜が来たら朝が来る。絶対朝が来ますんでね。それと、努力は嘘をつかないと思います。受験勉強でも、一生懸命勉強したことは後々役に立つと思います。大学受験に失敗しようが何しようが、頑張ったことは社会に出た時に会社でも他でも絶対に無駄にならんと思います。説教臭いでしょ? 年寄りやからごめんね。
ありがとうございます。ザセカンドは来年も出場されますか?
まさと 今は目の前の仕事を日々頑張ってこなしていってますが、一応上方漫才大賞をもういっぺん取りたいんですよ(第16回 1981年に受賞)。それが春に待っとるから、それを越えたらきっとまた次の目標が出てくると思うけどね。
おさむ師匠が70歳を超えてもなお芸風を貫かれていてスゴいなと思います。
おさむ 貫くよ、これしかできへんからね。僕はなんでも体当たりの精神で行ってるから。昔からずっと、とりあえず「よーし!」って大きな声出して自分の全部を吐き出して、気合入れて舞台に出るようにしています。それで、お客さんの前で「おさむちゃんです!」と言うと楽になるんです。お客さんに伝えたいという気持ちがあんな大きな声を出す芸風になってしまったんかな。ひょっとしたら自己主張が強いのかな(笑)
まさと ザ・ぼんちとしては70歳を回りました。いつまでもきれいでいたいし、笑いを取っていたい。出番は自分たちで取りに行かんと、次の人が山ほどいてはるからね。会社に「もうザ・ぼんちは疲れたな」と思われたら、「ちょっと出番を減らしていきましょう」となるんで、そこの戦いにも頑張っていかなあかん。とはいえ、毎日舞台に出ていても一字一句出て来ない。でも結構楽しんでますよ。
おさむ師匠がまさと師匠のことをYouTubeの番組で「相棒」と呼んでおられました。
おさむ 僕にとってはなくてはならない人ですから。ひとりでは成り立たない、ふたりでひとつですから、「相棒」。あまり難しく考えたことないねん。
まさと師匠にとっておさむ師匠はどんな存在ですか?
まさと 宝。宝物の”もの“は失礼だから「宝」。
高校の同級生の頃のおふたりはどんな関係でしたか?
まさと 高校の時はクラスが一緒やったけども、僕は野球部で野球ばっかやっとったし、彼はクラスの人気者でタイプが全然違う。だから変な話がコーヒー一杯一緒に飲んだこともなかったし。
おさむ 相棒は野球一筋ですから。僕は教室でわあわあ言いながらクラスの人気者になりたいというだけですから、今も変わりませんね。
それから55年以上が経つんですね。
まさと 縁でコンビを組んだわけですけども、55年経ったね。
おさむ やっぱり縁ですよね。どんだけ大恋愛しても結婚できない人もいますし。コンビを一回組んで、解散して、また繋がった。これも縁ですよね。
ぼんちおさむ
1952年12月16日生まれ
大阪府大阪市出身
里見まさと
1952年4月25日生まれ
兵庫県出身
1971年タイヘイトリオ入門
<ザ・ぼんち芸道55周年記念単独ライブ~漫才はとまらないッ~>
12/14(日)
東京・ルミネtheよしもと




