「社長に会いたい」地球の歩き方 新井邦弘「“自分の殻が破られて人生観が劇的に変わる” 海外体験」

株式会社地球の歩き方
新井邦弘 社長

今月はコロナ禍で厳しい状況下にありながらも、変わらず熱い視線を世界に向け続ける
海外ガイドブック「地球の歩き方」の代表・新井社長にお話を伺いました!


▼ 新井社長が心掛けている3つのこと

  1. どんな仕事にもオーナーシップを持つ

    大きな仕事でも小さな仕事でも “自分ごと”として捉えること、これは常に自分にも言い聞かせています。例えば人に頼まれた仕事でも、自分ごととして考えれば無責任にならず、工夫が生まれたり、もう少し手伝ってあげようかなといった気持ちが生まれます。

  2. 即断即決できない時は一晩寝かせる

    社長業で何か決める時でもそうですし、編集者として原稿を書いた時でも、この原稿で本当にいいのかな? と悩む時があります。そんな時は一晩寝かせて朝読み返してみます。するとまったく違う視点で客観的に見ることができるんです。

  3. 迷った時は自分の良心に問う

    ビジネスだから基本は儲からないといけないけど、儲かるなら何でもしていいというわけではないですし、迷って基準が曖昧な時は、“本当にお客さんのためになるか”“社会にとって価値があることか”と立ち止まり、意思決定は自分の良心に問いかけるようにしています。

 

まずはどんな会社か教えてください!

1979年創刊
40年以上続くガイドブックを発行

「地球の歩き方」を出版している会社です。

創刊は1979年。創刊から43年ほどになります。長きにわたりダイヤモンド・ビッグ社が出版してきたのですが、新型コロナの影響で誰も海外旅行に行けなくなり、急激にガイドブックも売れなくなる中で、1年ほど前に学研グループが事業を受け継ぐことになり、編集部員も引き継ぐ形で学研内で別会社を立ち上げました。私はもともと学研の社員として長らく編集者をしていて、また海外事業の経験もあり、加えて学生時代にバックパッカーとして海外を放浪していた経緯もあって、こちらの社長を任されることになりました。

 

社長はどんな高校生でしたか?

周りからは面白みに欠けるやつだと
思われていたんじゃないかな(笑)

勉強が好きなわけではなかったのですが、受験の恐怖もあったし、落ちこぼれたくないなという思いから一生懸命勉強はしていました。特にやんちゃなこともしなかったですし、周りからは面白みに欠けるやつだと思われていたんじゃないかなと思います(笑)。中学後半から高校にかけては映画が好きでよく観ていました。絵を描くことも好きで、美術部に入って油絵にハマり、絵を描いている時が至福の時でした。

新井邦弘

 

進路はどうやって決めたんですか?

絵描きの夢を諦めて
古代ギリシア史の道へ

当時は絵描きになりたいと思っていたのですが、東京藝大に入るには一浪二浪は当たり前というくらい狭き門だと聞き、絵描きで食べていけるのかという不安もあって、絵は趣味でもいいかと思っちゃったんです。そうなると、将来について他に思いつくことがなく、大学で見聞を広げてからもう一度自分の職業について考えることにしました。

理系に強かったのですが、当時外国史に興味があって、古代史の謎本とかベトナム戦争のルポルタージュを読んだりする中で、世の中には訳のわからないことがたくさんあるなと思い、歴史学科に進みました。そして大学時代にたまたま先輩に誘われて遺跡の発掘のバイトをしたんです。古墳や竪穴式住居などを掘って…(笑)。そこで考古学って『インディ・ジョーンズ』みたいでカッコいいなと思うようになり、古代ギリシア史を専攻することにしました。

発掘のアルバイトを1年半ほど続けて、次は先輩から「朝日新聞本社の編集局でバイトがあるけどやらない?」と誘われて、ジャーナリズムにも興味があったので、2年間編集局でアルバイトをしました。その後1年ほど海外放浪に出て、帰国後、就職活動を始めました。

テレビ局や出版社を受けて、当時はバブルだったこともあり、内定も多数出た中で何でも揃う総合出版社である学研に決めました。入社して最初に配属されたのは、「月刊ムー」というオカルト雑誌の編集部。宜保愛子さんという有名な霊能者の方の担当になって、心霊写真の鑑定をするというのが僕の仕事デビューでした(笑)

その後「歴史群像」という本格的な歴史を扱う雑誌に移って、そこに長らく在籍して、編集長まで務めました。今から6、7年前には「グローバル戦略室」というところに呼ばれて、海外事業の立ち上げに参画し、その後に「地球の歩き方」の担当になりました。その時、自分が行ったことのある国数を改めて数えてみたら41ヶ国だったんですが、地球の歩き方の編集長が72ヶ国と言っていたので、数ではかなわないけど、まぁ何とかなるかと思って(笑)。学生の頃に海外を回っていたことが、まさかここで活きてくるとは思わなかったですけどね。人生って何が起こるかわからないですね。

 

この先も守りたい
「地球の歩き方」の精神は?

常に旅人に寄り添い
旅の楽しさを提供

事業を受け継ぐ際、40年以上も続いてきた海外ガイドブックのトップブランドを引き継ぐ責任はすごく感じました。幸いにしてスタッフは元の会社の方々が来てくれているので、40年間培ってきた編集の文化やポリシーは継承し、まずはコロナが収束してマーケットが回復してくるまで頑張りましょう、とスタートしました。

事業譲渡のことがニュースになった時に、読者の皆さんからSNS上でも「地球の歩き方には昔お世話になりました」「もしかしてなくなっちゃうの!?」といった声が次々と上がったんですね。この時、お客さんなのに“お世話になりました”という言葉が出るってすごいことだなと思ったんです。だからこの先も「お世話になりました、ありがとうございます」とお客さんから言われる媒体であり続けよう、と最初に確信を持って思いました。

「地球の歩き方」はこれまで常に旅人に寄り添ってきました。旅は楽しいよ、ちょっとだけ冒険しようよ、と言って背中を押すんですが、無謀なことはさせない。「そこは危ないよ、事故になるよ」ということも指し示す。そしてちゃんと無事に帰って来られるように案内するという編集ポリシーがあるんです。だからこそ、また行きたくなるんですよね。

もちろん今は紙からデジタルに、という時代ですから、より使いやすい形にしていこうということは考えています。旅にまつわるサービスももっと作っていけると思いますし、このブランドを信じて旅を楽しもうとしてくださるお客さんが、我々に次に何を求めておられるかを積極的にキャッチアップしていきたいなと思っています。

 

社長にとって「海外旅行に行く意味」は何ですか?

自分の殻が打ち破られて
人生観が劇的に変わる

私にとって海外旅行は“人生観を劇的に変えてくれたもの”です。高校生の頃ってそんなにパッとしなかったんです。生真面目で、自分の中に暗黙の殻があったんだと思います。大学生になってもう少し勇気を出して自分の殻を破りたいと思っていた中で、大学4年生の時に…と言っても私は大学に6年間在籍していたのですが…中国文学をやっている先輩から、「中国に一緒に旅しない?」と誘われました。

当時、中国は発展途上にあって、対外開放も限定的でした。まだ自由に旅行できる国ではなくて。でも行ってみようということで発行されたばかりの地球の歩き方の中国編を持って3週間行きました。もう文化とか社会インフラとかありとあらゆるものが日本とは違って、見るものすべてが新鮮でショッキングでしたね。最初の海外体験が中国で、しかもいきなり3週間も行ったというのが大きくて、そういうインパクトみたいなものを旅の中で感じた時に、何か自分の限界が打ち破られるような快感があって…その連続が私の人生を変えていったかなと思います。

 

「海外旅行の醍醐味」ってどこにありますか?

圧倒的に
知的好奇心が爆発する体験

初めて先輩と中国に行った翌年、今度はひとりでまた3週間中国に行きました。さらに、古代ギリシア史の専攻だったので、大学の担当教授に「卒論を書く前に本国を見ておかないといけないかなと思ってるんです」と話したら「行ってくればいいよ。どうせ行くならローマあたりも見てくれば?」と言われて、「じゃ3ヶ月くらい行ってきます」と言って、行ってみたらほかのところも面白くなっちゃって結局1年ほど帰って来なかったんですけど(笑)

自分の中では一人旅の経験が大きかったなと思います。自問自答する時間が山のようにありますから、泣きたくなるほど寂しい気持ちになったり、言葉の壁で他人とほとんど会話をしないような日が1週間くらい続いたりもします。孤独と向き合う中で、孤独を克服できない自分を認めることも経験しました。異国の心細さの中でちょっと親切にされて人の優しさに触れた瞬間とか、ヒッチハイクをしていて2時間後にやっと車が停まってくれた時の嬉しさとか。そうした人の恩義に深く感情が揺さぶられたのも旅の中の体験だったなと思います。

こうした体験をすると、国って、国単位や政治単位ではなく、“人”なんだなと思うようになります。今もウクライナの問題などいろいろあってロシア人をヘイトする動きも起こっていますが、旅の経験は政治と人は違うんだという発想にさせるんですよね。紛争のニュースとかでしか知らない国って怖い感じがしますが、たとえば私はイランほど親切にされた国はありません。友だちがひとりでもできたらなおさらそう思いますね。

そして何より旅はあらゆる知的好奇心が爆発する体験です。行くまではどんな国かわからなくても、行ってから知ることってたくさんあって、例えばシンガポールなら「もともとマレーシアだったんだ」ということがわかり、なんで独立したんだろう? え、みんな華僑の中国人なの? あ、だから中華料理みたいな料理が多いんだ、へぇ〜みたいなね。全部連鎖して、英国植民地時代や日本軍による占領のことを知るようになったりと、勉強しようと思わなくてもどんどん調べたくなっちゃうんです。そうした刺激を山のように与えてくれるのが、海外体験です。


地球の歩き方

こちらは新井社長が二度目に訪れた中国、雲南省の大理という町。

地球の歩き方, 新井邦弘

新井社長

そしてこれがその時実際に持って行った35年前の「地球の歩き方」です(笑)

新井 巻頭ページに大理の記事が載っていて、大理は白族(ペー族)自治州なんですが、これを見て少数民族エリアって面白そうだなと思って訪れました。僕は月とか火星とかに行く気はないけど、地球の果てには行ってみたいなと思っているんです。地球上の至る所には想像を絶する世界がまだあって、自分でそれを体験するのがもっとも面白いことだと思うようになったのが、最初の中国の旅の体験だったかもしれません。

地球の歩き方, 新井邦弘

その後のヨーロッパ旅行は、まずはギリシアから入りました。朝、アテネに着いたのですが、空港からバスに乗って街に入り、真っ白なパルテノン神殿を見上げた時の「来たー!」という気持ちなんて、月に行くより絶対に面白いと私は思っています(笑)。そんな感覚で、行きたいところが次々と出てきてヨーロッパで終わらなくなってしまって、エジプトに行ったりトルコに行ったりパキスタンに行ったりしていたら結局1年近くバックパッカーを続けていました(笑)

地球の歩き方, 新井邦弘

遺跡もたくさん巡りましたし、美術館にも行き、たくさんの人にも出会いました。こちらの写真左はトルコの絨毯屋。イスタンブールの絨毯屋の店主と仲良くなって、入り浸っていました(笑)。右上はトルコをずっと東に旅して、イラン国境のところですね。真ん中にいるのが僕、隣にいるのが国境警備員で、マシンガンを構えていました。ここから国境を越えてイランに入りました。当時のイランはイラン・イラク戦争終結の直後でまだ外国人旅行者がほとんど入国しておらず、物資も乏しく停電も頻繁にある状態でしたが、人々は人懐っこく、よく話しかけられました。右下は古都シーラーズで知り合った地元学生さんとの1枚です。



りょうが

言葉の壁が怖くて躊躇してしまいます。そんな不安はなかったですか?

新井 グローバル戦略室長とかやっていると英語ペラペラ喋れるだろうと思われるんですが、なかなか上手くならなくて、いまだに英語恐怖症です。先日も英語で10分プレゼンしないといけない場面があって、緊張して心臓バクバクしてました(笑)。でも、旅は当たって砕けろです。イランなどアルファベットやアラビア数字を使わない国なんて行くと、もう数字すら違いますから、屋台でオレンジ一つ買うにしてもいくらかわからない!

でも世界中、ほとんど言葉が通じないと思っていれば気が楽です。たとえばオレンジを買うときも、コインをいろいろ出して、お店の人に必要なだけ取ってもらえばいいかって(笑)。日本にいると、日本人の前で英語を話すのって恥ずかしいでしょ? でも公用語が英語でない外国人同士だと、お互いがカタコトでも話そうとするんです。互いに愛があればブロークン英語でも喋れるようになりますから、言葉ができないことに怖気付かなくなってきます。

新井社長

ちょっとした勇気です。“いけるかも”と思える瞬間があればもう大丈夫。どこへでも行けます。



お金はいくらぐらい用意されたんですか?

新井 私が使った「地球の歩き方」(ヨーロッパ ’88-89年版)の表紙には、「ヨーロッパを1ヵ月以上の期間、1日3,900円以内でホテルなどの予約なしで鉄道を使って旅する人のための徹底ガイド」と書いてありました。これを見て朝日新聞社のアルバイトで必死にお金を貯めて、1日3,000円に収めるようにしながらなるべく長く旅ができるようにしました。10人部屋のような相部屋のユースホステルを利用して、自炊などもしていましたね。当時1ドル=約130円。今とほとんど変わらないんです。

新井社長

「アルバイトで50万貯めたんだけどあと10万足りないから貸して」とか、親に前借りしてでも海外は行った方がいいと私は思います。



かな

海外旅行の際、ご自身で決めているルールはありますか?

新井 バックパッカーから始めたので、私はツアーを利用したことがありません。自分で飛行機チケットを取って、宿を取って…行く先々のスケジュール組みからバスなどの時刻調べまで、すべて自分で行います。なるべく交通機関を使うようにしています。観光地でなくても、地下鉄に乗っているだけでいろんな発見があって、人々の生活が見えてきます。そういうのが旅の面白さだなぁと思うんです。

新井社長

何でも現地で手に入るので、荷物はいつもコンパクトです。ただ薬だけは日本のものを持って行っておいた方がいいですね。 海外の薬って体に合わなかったりもするから!



新井 私が最初にヨーロッパを訪れた当時はまだ東西冷戦時代で、ドイツにはベルリンの壁がありました。その翌年、1989年11月にベルリンの壁は崩壊しました。同じ年の6月には中国で天安門事件が起き、民主化を求める学生たちの闘争をテレビで目の当たりにしました。1年前にベルリンにも中国にも行って学生たちとも会っているから、決して遠い国の出来事ではなく、実感が湧いたし記憶にも残ったんですよね。

そもそも東西冷戦って何だったんだろう、ということも考えました。だからこそ、若い人には縮こまっていないで海外に行っていろんな国に触れて欲しいなと思うんです。今はスマホで何でも調べられるし、電話もできます。旅行は時間のある学生の間にすることが大切です。後で行こうと思っても時間ってなかなか取れないですからね!

 

社長の朝ごはん & モーニングルーティン

新井社長

コーヒーは必ず飲むんですが、朝食はあまり食べません。現役の編集者だった頃は徹夜するのが当たり前で、深夜に寝て昼頃起きるという生活だったのですが、今は明るくなったら起きるという生活を心がけています。夏場なら4時台に目が覚めます(笑)。夜は12時前までには必ず寝ていますね。朝はBSで、海外で報道されているニュース番組を見ています。国ごとに伝え方の違いも見えて面白いんです。これはグローバル戦略室の担当になった頃から見るようになりました。

高校生へメッセージ

高校生って悩みが多いと思いますが、考えても結論が出ないことって結構ありますよね。私もそうでしたし、いまだにあります。大切なのは未解決な自分の課題を放置しないことだと思うんです。

モヤモヤを抱え続けること。すると10年後かも20年後かもしれないけれど、いつかどこかで発見があるんです。未完成な自分、好きじゃない自分も持ち続けていいと思います。よく「ありのままの自分でいたい」と聞きますが、スタジオジブリの宮崎駿監督が「ありのままの人間なんて面白いわけがない」と仰っているのを聞いて納得したことがあります。もっと成長できるはずだからみんなは努力するのであって、「ありのままでいいです」なんて言ったらそこで思考停止になっちゃうと思うんです。

モヤモヤするのは当たり前、むしろそれを避けずに抱え続けていくことで、いつかハッとするような解決策が生まれてくるかもしれないと思っていて欲しいなと思います。あと、学生のうちに海外に行ってください! これは絶対に行った方がいい! 保証します。

新井邦弘Kunihiro Arai
1965年、埼玉県出身。東京都立大学在学中にバックパッカーで中国、ヨーロッパ、中東諸国をめぐる。大学卒業後、1990年に(株)学習研究社に入社。「月刊ムー」、「歴史群像」編集部などの雑誌編集に従事し編集長、事業室長を歴任。2015年、(株)学研ホールディングスへ転籍しグローバル戦略室長に就任、グループの海外事業推進役を担う。2020年、「地球の歩き方」の学研グループへの事業譲渡により(株)地球の歩き方が設立され、同社代表取締役に就任。