【よしもとTALK】例えば炎|お笑いを知らぬ強みでたどり着いた唯一無二の漫才スタイルに注目!

中学の同級生コンビ・例えば炎が、よしもとTALKに初登場!
昨年のM-1準決勝の敗者復活戦ではタイムオーバーで失格するも、それが注目を浴び、3月の初単独は立ち見も出るほど。
7月に「第45回今宮戎マンザイ新人コンクール」福笑い大賞を受賞、9月の東京での初単独もソールドアウトと、勢いに乗るおふたりに、話題のネタについてや高校時代のエピソードなど、たっぷりお話しいただきました。

高校時代はお笑いに触れず
お互いまったく別の世界で生きていた

まずは、「今宮戎マンザイ新人コンクール」福笑い大賞受賞おめでとうございます! 受賞後、何か変化はありましたか?

タキノ よしもと漫才劇場に、「M-1グランプリ準決勝進出おめでとう!」みたいなのと一緒に賞状を貼ってくれてるんで、ちゃんと劇場に認めてもらったなというので自信はついていますね。

田上 今宮戎は今年3回目。これまでの2年は部屋の中の予選だけで、お祭りには出させてもらえず終わってたんで、今回初めてのお祭りが楽しくて。優勝もできたので大満足でした。

9月には東京・大阪で単独ライブがありますが、他のコンビの単独にはない“例えば炎さんらしさ”は意識されていますか?

タキノ ゲストを呼ばないとか、なんとなくルールはあって、他の芸人さんと違うようなことをしたいなという意識は常にあります。1回目の単独でやったような作品性の高い単独は年に1回ぐらいやりたいですね。

ネタについて「ボケとツッコミがわかりにくいけれどクセになる」とファンの方から評価されています。その漫才スタイルはどのようにしてできたのでしょうか?

タキノ ボケとツッコミがわかりづらいというのは、同級生の会話で「なんでやねん!」とボケとツッコミを分けて喋ることがないなと気づいて、一回止めてやっていたら、「ボケツッコミ」になったんで、初めから狙ってできてたわけじゃなく、たどり着いたという感じです。

田上 僕はタキノから一言一句セリフを与えてもらってるんじゃなくて、好きな範囲でウロウロやってるんで、二度と再現できないっていう意味では評価されているのは嬉しいですし、僕もやっていて楽しいですね。

ネタを作るにあたって、独自のルールはありますか?

タキノ 最初の頃は『豚コック』とか、変な設定を考えるのが好きで。お笑いのことを知ってる人であればあるほどウケるというか。それでもっとウケたいってなって、この2、3年は誰もが見たことがあるようなベタな設定で作るというのを意識してます。“ベタな設定で、誰もが見たことがないボケ”というのが僕らに合ってるかなと思います。

田上さんはタキノさんが作るネタが変な設定からベタな設定に移ったことをどう思われましたか?

田上 でも会場に合わせてどちらもやってるんで、僕はどっちも好きです。『豚コック』の台本をもらった時にこれがなんで面白いかわからなかったので、タキノに聞いて。全力でやるようにはしています。

おふたりは中学校の同級生で、高校は違う高校に進学されたとのことですが、高校時代クラスではどんなキャラでしたか?

タキノ 宝塚の公立高校に受験で落ちて、滑り止めの大阪の私学に行くことになりまして。中学の時は楽しく過ごしてたんですけど、田上を含む地元の友だちとバラバラになって。で、ゴルフ部に入ることになるんですけど、そのゴルフ部が強豪で、全然ついていけないとかもあって、中学の同級生たちが行く大学に一緒に行けたらいいなという思いで、真面目にして内申点を上げようと思ったんです。でも、1年の6月頃から我慢できなくなってふざけ出して…。そしたら「お前そんなヤツやったんか」って昼ごはんもみんなで食べるようになりました。

田上 僕も同じく宝塚の一番上の高校に落ちて、同じ中学から行く生徒が僕の他に3人ぐらいしかおらん公立高校に一番下で引っ掛かったんですよ。“中学の初めに転校して来た時に、友だちがひとりから少しずつ増えた感じをまたやんのか、めんどくさ”って思いながら野球部に入って、頑張っていこうと思っていたら最初のテストで学年1位取っちゃって。なんか秀才キャラとポンコツキャラを行ったり来たりする、そんな感じでしたね。

高校時代の一番の思い出を挙げるとすると?

田上 自分の卒業式の日に学校のヤツとは遊ばずにタキノの卒業式に向かったことかな。

タキノ そういえばそうっすね。

高校時代もおふたりで遊んでいたんですか?

タキノ 僕はゴルフでプロを目指して忙しかったんで、あんまり遊べてなかったですね。SNSが発展してなかったからお互いの動向を追いかけていたわけでもなく。たまに会ったら、「田上、野球辞めたんや」とかいう状態でした。まったく別の世界で生きてたみたいな。

田上 ゴルフ疲れしたボロボロのタキノを見ましたよ(笑)

お笑いはAIに取られない
将来の夢は「AIに負けないぞ!」

おふたりが部活から得られたもので今に繋がるものはありますか?

タキノ しんどい経験がすごい活きてるなと思います。ゴルフはメンタルスポーツで、紳士のスポーツなので、「礼儀、作法、常識、思いやり、感謝」って書かれた練習着のTシャツを配られて、それをスラスラ言わされたりしたので、得られたものがかなりあった3年間でした。

田上 最後の試合は、ピッチャーで7回1安打に抑えて、3打数2安打で大活躍して満足して辞めたんです。僕はだらしないんですけど、野球部に入っていたおかげで挨拶しないと気持ち悪いし、最低限のことは根付いてますね。もし入っていなかったら、もっと終わりの人間やったと思います。バッテリィズさんたちが草野球チームをやってたので、野球やっててよかったなと思いました。

高校時代はテレビなどでどのくらいお笑いに触れていましたか?

タキノ 当時流行ってたバラエティ番組とかは観てましたけど、M-1とかネタはあんまり観てなかったです。

田上 僕も『はねるのトびら』とかバラエティ番組は観てたんですけど、お笑いは一切観てなくて。漫才劇場があるってことも知らないぐらいお笑いに疎かったので、NSCに入ってみんながむっちゃお笑いを知ってることにびっくりしました。

知らなかったことが逆に良かったと思う面もありますか?

田上 ふたりともお笑いを知らなかったことで、人と違う漫才ができたのかなとは思いますけど、ちょっとヤバいなっていうので、一生懸命勉強して”こんなおもろい人おるんや “ってなりました。

タキノ 僕は知らない方が良かったと思いますね。漫才ってこういうものやとか、「どうも~」って出て来ないといけないとか、固定概念ができてしまうんで。

田上さんは勉強はお好きでしたか?

田上 僕はタキノのようにゴルフとか、何やってもできなかったんですけど、勉強に才能はいらないというか。大学で良いとこ行かないと話にならないので、好きっていうよりせざるを得なかったところもあるんですが、数学は青チャートを狂ったようにやって、河合塾の全統模試で(偏差値)69とか取ってました。

ちなみに高校時代はモテましたか?

田上 モテてないです。高校はヤンキーの方が人気な学校やったんで、僕はへらへらした感じで学年1位取ったりするので、変なヤツやと気味悪がられてましたね。

タキノ 1年生の体育祭の時に、鉢巻の色が1学年16クラスで色が分けられているんですが、「タキノくん、私の鉢巻付けて」って8人の女子の方に言われて、8色の鉢巻をピラピラとカバンにつけさせてもらったんです。やっぱ“イタイな”と思ってすぐ止めましたけど。だからモテてたかもしれないです。

最後に、おふたりのこれからの目標をお聞きしたいです。

タキノ おじいちゃんになった時に20代、30代のことを思い出して”あの時面白かったな “って思えるような人生にできたらいいなと思ってます。

田上 お笑いはAIに取られないと思って始めたので、「AIに負けないぞ」というのが僕の夢かもしれないですね。

例えば炎の
「僕のこだわりの文房具」

タキノ ネタの台本は携帯で書くんですけど、新ネタを書くぞってなった時は、毎回新たにコンビニで買うリングノートにボールペンで書きます。左利きなので、横書きだと見えないので国語のノートみたいに縦書きで。新ネタを書く度に新調するので、家に40本ぐらいボールペンがあります。

田上 僕はネタ書かないんで今は使ってないんですけど、高校生の頃は文房具がめっちゃ好きで、100円くらいのSARASAのボールペンで勉強して、使い終わったら2リットルのペットボトルにポイポイ入れて。パンパンにしたらこんだけ勉強したってことがわかるので、「勉強した証」みたいなのにしてました。

例えば炎tatoebahonoo

タキノ ルイ
1995年10月8日生まれ
兵庫県出身 
NSC大阪校43期生

田上(たのうえ)
1995年5月3日生まれ
兵庫県出身
NSC大阪校43期生

<例えば炎大阪単独ライブ「HONOO」>
9/29(月)
大阪・よしもと漫才劇場