【よしもとTALK 】田津原理音「変化はやっぱり怖いけど、変えてみたら案外どうにかなる」

強者たちが顔を揃えた「R-1グランプリ2023 決勝戦」にダークホースとして注目されていた田津原理音さん。見事グランプリを獲得し、受賞後はガラリと生活が変わったという田津原さんに気になるR-1グランプリのことや芸人になったきっかけについてなどお聞きしました。

祝「R-1グランプリ2023」優勝!
その後の生活は?

「R-1グランプリ2023」優勝おめでとうこざいます! 優勝後、大きく変わったことはありますか?

田津原 今までお金がなさ過ぎて電車代の180円すらもったいなくて40分くらいなら平気で自転車を漕いでテレビ局や劇場に行ってたんです。でも今は移動の時はタクシーを呼んでもらえますし、新幹線もグリーン車なのでそこが一番変わったところです。R-1の2回戦は東京で受けて交通費は自腹だったので帰りは足を曲げてしか寝られないような一番安い夜行バスで帰ってきたんです。R-1は夢ですよ。夢あるなって感じです。

今年のR-1はどのような思いで挑まれていましたか?

田津原 いろんなところでも言わせてもらってるんですけど、今までは人の意見を全く聞かずにひとりでネタを作っていたんですけど、今年に限ってはいろんな人からいただいたアドバイスを全部採用させてもらって、みんなの協力があったおかげでできたネタなんです。舞台では、決勝に出させてもらってありがたいという感謝の気持ちで伸び伸びとネタをできたのが良い結果に結びついたのかなと思っています。

周りの意見を聞こうと思ったきっかけを教えていただきたいです。

田津原 昨年のR-1の準決勝が終わってから先輩たちご飯に連れて行ってもらったんです。そこで、いろんな芸人仲間の先輩後輩に「田津原ってほんまに頑固やんなぁ」「アドバイスとか全く聞かへんよなぁ」と、けちょんけちょんに言われて、そこまで言われてて何も変えないのは恥ずかしいし、周りがそれだけ真剣に僕を変えようとしてくれているのに変わらないのは申し訳ない気持ちが一番大きなきっかけです。

ちなみに一緒にご飯に行かれた方のお名前をお聞きしてもいいですか?

田津原 ビスケットブラザーズの原田さん、今井らいぱちさん、清友さんっていうピン芸人の方と後輩の真輝志です。もう完全に4対1で、みんなにボコボコに言われました。

R-1で披露されたカードネタのカードパックをご自身で作られる上で工夫されたところはありますか?

田津原 R-1ではカードを裏返してないんですけど、全部ちゃんと裏面もあるんです。ファイルに入ってるカードにも、一切触れないカードパックの裏面にも、めちゃくちゃボケを書いています。ボケられるところは全部ボケたいので、細部までこだわって実は作ってました。

現在お忙しい生活を送られていると思うのですが、大変なことはありますか?

田津原 全部が初めてのことなので、例えば東京の生放送に呼ばれてもやり方がわからない。でも大変だけど楽しいんです。これがいわゆる芸能人かって(笑)

4月から新学期を迎えて新生活が始まりました。R-1で優勝された田津原さんから高校生読者に向けて応援メッセージをお願いしたいです。

田津原 僕は昨年のR-1が終わった後の4月からネタを変えたんです。変化はやっぱり怖いけど、変えてみたら案外どうにかなるので、恐れないで変えることを心掛けたら良いことがあるかもしれないです。

高校時代の田津原さんはどのようなキャラでしたか?

田津原 芸人になりたかったんで、周りから面白いと思われたくて前に出られることがあれば何でもしてました。高校時代は野球部で、3年生の8月末に引退してから髪の毛を伸ばしてツーブロックとかしておしゃれしてたんですけど、周りが「コイツおしゃれに気遣い始めたな」って思うタイミングで丸刈りにするという変なボケをしていた目立ちたがり屋でした。

野球部に入られたきっかけは何ですか?

田津原 小学校の時から野球やってたんです。でも、めっちゃ野球が好きやったというわけでもないんですよ。僕、バイトとかもそうなんですけど始めるより辞めることの方がしんどいタイプで辞めることも親に言いにくかったんで、野球部をやってた感じです。

高校時代は野球部で応援団をされていたそうですが、仲間との熱いエピソードはありますか?

田津原 僕、めっちゃ野球が下手やったんです。最後の夏の大会ではベンチに入らなくて、応援団っていう形で参加しました。僕のポジションはファーストやったんですけど、ずっと一緒に朝練してた同じポジションの子がレギュラーで僕は応援団。それで夏の大会は奈良県大会の決勝戦で智辯学園に負けて準優勝で終わったんです。閉会式でみんなは銀メダルをかけてもらってグラウンドから出てきて、僕らはグラウンドの外で待ってたんですけど、その同じポジションだった子が真っ先に僕のところに走ってきて、僕に銀メダルをかけてくれたんです。それは熱い団結の感じやったなと思いますね。みんなも僕の応援団のことを褒めてれた思い出があります。

高校の学園祭では何かされましたか?

田津原 漫才やってすごくウケました!

幼少期からお笑いに興味を持たれていたのですか?

田津原 僕が中学2年の時(2008年)にNON STYLEさんがM-1で優勝したんですよ。それを見て僕もお笑いしたいなって思うようになりました。それまではずっと漫画家になりたくて、それは今の(ネタで描いている)イラストに繋がっている部分もあると思います。

芸人になりたいと親御さんにお伝えしたのはいつ頃ですか?

田津原 M-1を見た翌朝に言ったと思います。「お母さん、僕芸人になりたいかもしれへん」みたいな。「何言ってんの」と返された気がするんですが、小さい頃から漫画家になりたいと言ってたこともあって、芸人と聞いてもそこまでびっくりせずに応援してくれていました。

そこからNSCに入学されるまで芸人さんになる思いは変わらなかったですか?

田津原 全く変わらなかったです。中学2年の時に芸人になると決めていたので高校も別に行かんでいいやって思ってたくらい。結局受験して高校に入ったんですが、芸人になれるなら学生生活がなくてもいいと思うくらいずっと強い気持ちでした。

NSC入学後にコンビを組まれていましたが、田津原さんが思うピン芸人の強みは何だと思われますか?

田津原 気楽かな (笑)。相方にスケジュールを合わせなくてもいいですし、ある程度自分に厳しさがないとダメですけど、サボろうと思えばずっとサボれるし、舞台上でどれだけ好きなように思ったことを言っても、どれだけスベっても相方に怒られない。それがピン芸人の好きなところです。

逆にコンビで羨ましいと思うことはありますか?

田津原 コンビだったらそれぞれの役割があるじゃないですか。ピンだと全部自分でしないといけないんで。コンビは関係性とかをわかりやすく役割分担できるのはめっちゃ羨ましいです。



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