明治36年創業、チロルチョコ誕生から55年以上!株式会社チロルチョコ4代目松尾裕二社長に聞く

チロルチョコ

チロルチョコ誕生から55年以上!明治36年創業の福岡のお菓子工場から始まった
株式会社チロルチョコ4代目社長・松尾裕二社長にお話を伺いました!


チロルチョコの歴史を教えてください!

チロルチョコ株式会社は2004年に設立したのですが、元々は私の曽祖父が1903年、今から150年ほど前に福岡県の田川市で松尾製菓株式会社を創業しました。炭鉱の町だったので、地方から肉体労働で来られていた方々に向けて飴や金平糖などの砂糖菓子を作ったのが始まりです。そして戦後、日本が戦争に負けてアメリカからチョコレートやアイスの文化が入って来た頃に2代目が設備を変えて「チロルチョコ」を作り始めました。当時は3つ山になっている長方形のものを10円で売っていたのですが、オイルショックなどで原材料が高騰し、一つ山にしてそれを10円で売り出したのが今の形のチロルチョコになります。

福岡発祥からどうやって全国ブランドに?

当時は福岡県を中心にした駄菓子屋メーカーだったのですが、3代目の父(現会長)が会社に入った頃、東京でセブンイレブンの豊洲1号店ができて“これからは一気にコンビニルートが広がるんじゃないか”ということで、コンビニさんに商談をかけ、全国ブランドにしていったという流れになります。僕が高校生くらいだったのですが、’04年に「きなこもち」味が大ヒットして、そこで認知度も一気に広がりました。会長は、田舎の駄菓子屋の社長では終わりたくない、全国ブランドにしたいという想いが強かったようです。

松尾家、お家の中はどんな雰囲気だったんですか?

祖父は私が物心ついた頃には闘病生活をしていたので、あまり仕事の話をしたことがないのですが、父親の姿を見て育ってきた部分はあると思います。父は家の中ではほとんど仕事の話はしませんでしたが、いつ見ても本を読んだり新聞を読んだりして、気になった記事は切り取って次の日会社に持って行っていました。開発メインで仕事をしてきた人なので、どこかに商品のアイデアが転がっていないかを常に探していたんだと思います。たまに試作品を「食べ比べてみて」と言われたことはありますが、家にチロルチョコが転がっていることはなかったですね。

社長は、どんな高校生だったんですか?

今の見た目からは想像つかないと思いますが、ストリートダンスをやっていました(笑)。中学までは福岡でサッカーをしていて、高校受験の時に家族ごと東京に出てきたのですが、田舎から東京に出てくると、ピアスを開けたり金髪にしたくなりますよね(笑)、すると当然高校の部活には入れてもらえず、そこでストリートダンスに出会って。おもしろかったので夢中になって大学4年まで続けました。

4代目社長としてのビジョンを教えてください!

これまでの代表が「一代一創業」と言われてきたように、僕も4代目として新しいことができるようにしたいなと思っています。今もアジアを中心に、年間10回以上海外へ行き、商談や情報収集をしているのですが、日本人なら誰もが知っているチロルチョコを海外の人にも食べてもらいたいという想いから、僕のライフワークは“海外”だと考えています。南アジアなど暑い地域はチョコが溶けてしまったり、関税による価格の問題などがありますが、ゆくゆくは日本の旅行者の方が訪れた先のコンビニで、その国のオリジナルのフレーバーをお土産にしていただけるようになれば楽しいなと思っています。

社長のチロルチョコBEST 3は?

3位は「ホワイト&クッキー」。2位はやっぱり「きなこもち」。1位は、「ビスケット」ですね。ベーシックな軽い食感で、実は一番好きなんです(笑)

    松尾社長にお聞きした
    社長が心がけている3つのこと

  1. ゴールから考える

    どんなことも理想の形から、やらないといけないことをリストアップしています。僕は数学が好きなので、例えば売上から経費を引いたものが利益なのですが、売上を先に考えるのではなく、まず利益をどれくらいにしたいかを考え、そのために経費をどれくらいで押さえないといけないかを逆算して考えていきます。

  2. 現地に行く

    月のうち1週間は必ず福岡の工場へ行くようにしていて、あとは地方の営業所や海外に行ったりしています。現地の社員や現地の方と顔を合わせて話したり問題がないかを見ることは大切ですし、海外のことについても本で読んだり報告で聞くものと、実際に自分で行って感じるものはまったく違います。

  3. 自分たちが出したいものを出す

    「楽しいお菓子で世の中楽しく」が社是で、「マーケットイン」の発想をしないというのがチロルチョコの企業文化です。世の中で流行っているから取り入れるというよりは、カレーパンや桃屋さんのラー油を入れたフレーバーなど、あくまでも自分たちが出したい、おもしろいと思うものを出すようにしています。

仕事に欠かせないアイテムは?

iPad Pro

「ノート代わりになるので、商談に行った時もすべてこれに記録しています。テーマごとにノートを分けることができて、本当に紙に書いているみたいなんです。僕、紙のノートはどこに書いたかわからなくなっちゃうんですが(笑)、これは本当に紙に書いているみたいなんです。会社のメールも受信できますし、スケジュールもこれで管理しています」
ちょうど1年前、社長交代の際に経済紙「日経MJ」に出した新聞広告はすべて3代目・松尾利彦会長のアイデア。ご自身で絵コンテを描き、撮影中も何度も写真チェックをされていたそうです。遊びゴコロ満点!
北海道版・関東版・東海版・関西版・九州版
ともひろ(高3)・みう(高3)・こうき(高3)・はな(高3)

ともひろ(高3)
マーケットインじゃなく、作り手が満足するものを顧客に売り出すという逆転の発想が、おもしろいプロダクトを生む秘密のようです。

みう(高3)
ゴールから過程を考えるという話がすごく印象的。“まずはやってみる”という精神で、これからもいろんな味を開発してください!

こうき(高3)
大きな企業なんだと思っていたから、社員数50人と聞いてびっくり! iPad Proを愛用されているのにもびっくりでした!

はな(高3)
子どもから大人までみんなに愛され、ユーモア溢れるチロルチョコで、売上にも繋げておられるのがすごいと思いました。

松尾裕二Yuji Matsuo
株式会社チロルチョコ 松尾裕二 社長
‘86年、福岡県出身。’09年、立教大学経済学部卒業後、コンサルタント会社に入社。’11年、チロルチョコ株式会社に入社。販売・開発・製造の部長を経て、’17年5月に同社および松尾製菓株式会社の取締役社長に就任した。
MEMO
過去の「社長に会いたい」は旧ウェブマガジン「U-18 by ch FILES」をご覧ください