社長に会いたい|生活クラブ村上彰一会長「何を買って、何を買わないか、一人ひとりが選ぶ生活が未来を変えていく」

生活クラブ

生活クラブ連合会 村上彰一会長

街中でもよくトラックを見かける、生協の食材宅配「生活クラブ」。
国産・無添加・減農薬にこだわった安心食材の背景には、一人ひとりの生活から日本の未来につなげるサステイナブルな考え方がありました。

 

生活クラブについて教えてください!

国産素材を中心に、安心安全の
食材や生活用品を届ける生協

生活クラブは生活協同組合(生協)で、現在21都道府県にいる42万人の組合員が、食べ物などを生産者から共同購入しています。“生活を支える”ということが一つの大きな理念で、組合員みんなが「出資・利用・運営」することで成り立ち、食べ物だけでなく、衣料品など生活に必要なものをお届けしています。営利が第一目的ではないため、食料品や生活用品は、商品ではなく「消費材」と呼んでいます。他にもびんなどのリユース回収、組合員同士が支え合うことのできる福祉事業、再生可能エネルギーを使った電気の供給にも取り組んでいます。

 

オリジナルの消費材はどうやって生まれるの?

共同購入することで、
組合員が生産者とともに実現

生活クラブが扱うものは、特に食料品については、普通のスーパーや量販店で売られているものはほとんどなく、9割ほどが組合員と生産者が一緒になって、国産・無添加・減農薬にこだわって作ったオリジナルです。購入する組合員が集まると、力になるんです。だから生産者の方には、これだけ買うから、例えば「遺伝子組み換えの原料は使わないでください」「できるだけ化学調味料や添加物は入れないでください」といった要請をします。農薬を使わないことは本当に難しいことなので、生活クラブで定めた基準をもとに、農法や農薬の使い方などについて僕たちからアドバイスしながら、生産者と何度も顔を合わせてお金の話もきちんと伝え、信頼関係を築きながら本当にいいものを作っていただいています。

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実店舗として展開する「デポーせたがや」の様子

 

生活クラブの始まりは?

1968年、東京・世田谷での
牛乳の共同購入が始まり

生活クラブの始まりは1965 年の牛乳の共同購入でした。脱脂乳やフルーツ牛乳などの加工乳が全盛の時代だったので、おいしい牛乳を少しでも安く飲みたいという思いから、主婦の方々が集まって、普通牛乳の共同購入を行い、さらに酪農家と一緒に直営の牛乳工場も設立。価格を下げることから質の向上に転換していった歴史があります。

当時は日本が経済成長する中で、水俣病などの公害病が社会問題になっていて、それらの原因は化学物質でした。例えば合成洗剤には合成界面活性剤が使われていて、それが油汚れをよく落とす一方でそのまま川に流されると環境汚染につながります。しかしそれは、消費者である私たちが変わらないと良くならない。私たちが使わなくなれば、メーカーはもっと良いものを作るはずだ、という思いから私たちはせっけんを選択してきました。自分が買うものと買わないものを選んでいくことで世の中が変わるという考えで取り組んできたのが生活クラブです。

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※写真の販売価格は取材当時のものです。

 

村上会長は高校時代、どんな学生でしたか?

サッカー、長髪、バイク…!?
音楽や小説にも浸った高校時代

中学高校と6年間サッカー部で、休みの日はバイクに乗っていました。16歳でバイクの免許を取って、ホンダのCB250Rを中古で買って、タンクを黒く塗り替えたり、当時はリーゼントが流行っていたんですが、僕はリーゼントにはせずに髪を伸ばしてバイクで髪をなびかせて走っているような高校生でした(笑)。出身が熊本なので、阿蘇山にもよく友だちと遊びに行きました。あとは文化に興味があって、ビートルズなど洋楽やフォークソングを聴いて、小説を読み耽っていました。熊本には映画館が少ししかなかったので、マニアックな映画やお芝居が見たくて、大学で東京に出て、文学部に進みました。

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高校時代から今につながる考えはありますか?

ベトナム戦争の映像をきっかけに
高校時代には価値観が大きく変わった

高校1年の時、ベトナム戦争が終わりました。1975年。その時に戦争の映像がテレビでたくさん流れていたんです。どうしてこんなことをするんだろう、僕たちは人を殺せば殺人罪になるのに、国家が殺したら英雄視されるのはおかしいと思うようになりました。その頃はラジオの深夜放送をよく聴いていて、パーソナリティをしていた北山修さんにも影響を受けました。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーで「戦争を知らない子供たち」を作詞した方ですが、ラジオで「みんな戦争になったらどうする?」と呼びかけたんです。すると「戦う」という人がいたり「逃げる」という人がいたり。でも北山さんは「絶対に逃げろ」って言うんです。「人を殺せる人間になるんじゃない」って。それが頭の中にこびりついていて、自分が何をやりたいかはまだまったくわからなかったですが、社会を見ないと自分の生き方って決まらないんだなと思ったのが高校時代でした。高校から大学1年にかけては自分の価値観が大きく変わっていきました。

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私たちが国産の食品を食べ続けられることって、実は大変なことなんですか?

日本の農業従事者は大幅減少
どう支援していくかを考える必要がある

大変なことですね。今日本国内の食料自給率は38%(カロリーベース)です。6割以上を海外から輸入している状態です。自給率を少しでも増やしていかないと、今回のような戦争が起きたりコロナ禍になると海外から食べ物が届かないという事態が必ず起きます。ただ、農業従事者はこの10年間で約100万人以上減っています。しかも平均年齢は68歳。この先食べ物を作る人は更にいなくなっていきます。耕作放棄地があるので、農業をする人さえいれば、作ることはできる状態にあるんです。しかしここで、農家が儲からないということも大きな壁になっています。

本来食べ物を作ることにはとても手間暇がかかっていますから、適正価格はもう少し高いはずなんです。海外とは土地の広さが違いますから、日本のように狭い土地の中山間地域などで丁寧に作るのと海外のように大規模で安価に作るのではまったく違います。そうした日本の環境の中で農業をどう育てていくか、支援していくかを考える必要があると考えています。国連WFPは現在世界で約8億人が飢餓の状態にあると発表しています。本来先進国である日本は食べ物を自給していかなくちゃいけない立場です。そして食料を彼らに支援するというのが先進国の役割だと思いますが、日本の政策はあまりにも工業に偏ってきてしまって、農業が衰退してしまっているのが現状です。

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未来につながる考え方はいつから持つようになりましたか?

23歳で知った“生活”の大切さ
今では自身のライフワークに

僕は生活クラブに入ってからです。23歳の時、社会運動がしたくて、アルバイトをしながら地域に暮らして障がい者の介護をするボランティアしていた時に、生活クラブの職員と一緒になって誘われたのがきっかけでした。それまでの僕は少し頭でっかちで、戦争がある社会をなんとか変えたい、そのためには政治を変える必要があると考えていたのですが、組合員の方々からいろんな考え方を学んで、政治だけではだめで、一人ひとりの生活というものが本当に大切で、生活の仕方を変えることが未来につながるんだと知るようになりました。

消費者であることはいろんな可能性を持っていて、何を買って、何を買わないのか、使い捨ての生活をするのか、物を大切にする生活をするのか、消費者が選ぶ生活の仕方が、世の中を変えていくんだと思います。僕は23歳から40年、生涯をかけてやりたいことと仕事が一致しているような感じで、今の仕事が自分のライフワークのようになっています。

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※写真の販売価格は取材当時のものです。

 

村上会長の生活クラブのお気に入りの品は?

豚肉・牛乳・カマボコが好き!
調味料もおすすめ!

平田牧場の豚肉は、お米をブレンドした飼料で育てていて、おいしいんです。甘辛くして豚丼にするのが大好きです。あと牛乳は毎日飲んでいます。それにカマボコがとても好きです。1本がすぐになくなってしまいます(笑)。1瓶の中に国産トマトが約12個分入ったトマトケチャップは生活クラブの一番人気なのですが、同じ生産者が作る牡蠣の調味料は、炒め物に少しかければ何でもとてもおいしくなります。白だしも絶品ですし、調味料系はおすすめです。

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▼村上会長が心掛けている3つのこと

  1. やりながら考える

    物事のリスクばかり考え過ぎると何もできなくなります。だからまずやってみる。やってみるといろんなことが分かってくるから、そこで考えて進んでいく。失敗すればその原因を考えて引き返してもいいし、別の道に進んでもいい。事業は現状維持を考えると衰退の一途なので、常に前を向いて次を考え、現状を打破していくことが大切だと思います。

  2. 人に頼る

    僕は優秀な学生でもなかったですし、頭が切れるようなタイプではないので、人の助けを借りないと何もできないということを自分でもよくわかっています。だから人に頼ることもとても大切にしています。

  3. 焦らない

    経営をしていると、どうしても直近の数字に目を向けざるを得なくなります。それはとても大切なことだけど、そこだけ見ると焦りが出てしまうので、落ち着いて、もう今年は諦めて2年後を考えようなど、切り替えて考えることも多いです。

 

村上会長の朝ごはん&モーニングルーティン

村上会長

朝は起きたらお風呂に入って湯船に浸かり、歯を磨いてお弁当を作ります。シャケを焼いたり卵焼きを作ったり、僕は朝ごはんは食べないので、作ったお弁当をお昼に食べるのが楽しみなんです。生活クラブの職員には自分で作ってくるお弁当男子が結構多いですよ(笑)



進路に悩む学生へメッセージ

今の社会をよく見て、自分たちが大人になった時にどんな社会を作りたいか、そのために何をすればいいかといった想像力を持って欲しいなと思います。また、若い頃は自分に自信が持てなかったり、人と比べたくなったりします。あの人はできるのにどうして自分は勉強ができないんだろうとか、どうして人付き合いがうまくできないんだろうとか。でもそれは誰でも同じなので、焦らない方がいいと思います。今はなんともならなくても、もう少し時間が経てば楽になる、解決できる、そう考えて自分を追い詰めず気持ちを楽にしてください。僕もそうして生きてきました。



取材を終えて

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取材前に、生活クラブの実店舗「デポーせたがや」を見せていただくと、働いている方が次々に村上会長に声をかけておられるのが印象的でした。「会長、カッコよく撮ってもらってくださいよー!」など、皆さん明るくて楽しそう。

平飼いの卵、自前の牛乳工場で72度15秒間殺菌した成分無調整のパスチャライズド牛乳、地域の農家と減農薬に取り組んだ野菜、保存料などの添加物を省いた加工品など、生産者と一緒に二人三脚で取り組んだ安心安全の品は、9割以上がオリジナル。

人気の100%国産のトマトで作ったトマトケチャップには、1瓶に約12個分のトマトが入っているのだとか。牛乳のリユース瓶は、想像以上に軽く設計されていて、「グッドデザイン賞」も受賞しているそうです。

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えみり(高1)
生活クラブって最初は食だけだと思っていたのですが、子育て支援など生活をよくするためのさまざまなことに取り組んでおられて、村上会長が、自分のしたいことがそのまま仕事になっていて、大変だけど楽しいとおっしゃっていたのがとても素敵だなと思いました。

みき(高2)
「環境への取り組み」と聞くと大きな意味で捉えてしまうので、どうしても他人事みたいな気がしていたのですが、お話を聞いて、自分の生活がとても大切なんだなと思いました。品物の裏に国産原料や遺伝子組み換えでないなど原材料が細かく書いてあるのも楽しいです。

ゆうき(高3)
お話にあったように社会を変えるのは政治運動をすることも一つのやり方だと思いますが、自分たちが動いて生活を変えることで変わっていくんだというのは、今まで考えたこともなかったことで、自分の考え方が広がりました。

かな(高3)
私も含めて高校生はやっぱりいかに安く買えるかに目を向けていると思うんですが、何を選んで何を選ばないかということがすごく重要で、自分が買った商品の先に、国産の商品だったり、日本の生産の未来があるんだなとハッとしました。

村上彰一Shoichi Murakami
1959年、熊本県出身。大学進学とともに上京。戦争のない社会のための社会運動に関心を持つ中、地域の障害者支援を行うボランティアで生活クラブ生協と出会い、社会を変えることは一人ひとりの生活を変えるところから始まるという考えに共感し、入職。2022年、生活クラブ連合会会長に就任。