社長に会いたい|クリエイティブマン清水直樹「高校生でも行ける都市型フェスを日本に作りたかったんです」

株式会社クリエイティブマンプロダクション
清水直樹 社長

今年8月19日(土)・20(日)に開催される「SUMMER SONIC 2023」は東京・大阪会場ともに過去最速で全チケットがソールドアウト!
23年前にサマソニを立ち上げた清水社長ってどんな方!? ドキドキしながらオフィスを訪問!

 

まずはどんな会社か教えてください!

主に海外アーティストを招聘する
コンサートプロモーター会社

1990年に立ち上げて約30年になりますが、中心の仕事は、海外のアーティストを日本へ招聘して、コンサートやフェスを企画・運営するコンサートプロモーターの会社です。2000年から毎年8月に東京・大阪で「SUMMER SONIC」(通称サマソニ)を開催しています。

 

Q. どんな高校生でしたか?

音楽が僕の教科書
とにかく音楽を聴きまくっていた

中学まではバスケ部で足も速くて明るい学生生活を送っていたのですが、勉強しないからどんどん成績が落ちて、高校は出身の静岡県の焼津から自転車で1時間以上かかるところにしか入れず、あまり学校にも馴染めなくて。

その時に好きなものが音楽しかなかったんです。高校時代はとにかく洋楽ロックを聴きまくって、音楽雑誌を読みまくって、ラジオを聴きまくっていました。だから僕の教科書は学校より、レコードであり音楽雑誌でした。当時レコードは1枚2500円ほどしたんですが、レンタルレコード店ができて200〜300円で借りられるようになったので、学校から帰って店に行って1枚借りて、ダビングして翌日返してまた新しいのを借りて、ということを繰り返していました。

ファッションもTHE JAMというバンドのポール・ウェラーの短髪で細いスーツスタイルというモッズスタイルに影響を受けて、制服は太いズボンを履いていた人も多かったんだけど、僕はネクタイも敢えてスタイリッシュに細い方を前につけたりしていました(笑)。音楽が生活であり、ファッションでありという3年間でした。

邦楽は聴いていなかったですか?

両方聴いていましたよ。でもどちらかと言うと洋楽寄りというか。最近亡くなられた坂本龍一さんのYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)とか、大瀧詠一さんとか佐野元春さんとか、洋楽に影響を受けたミュージシャンが多かったかな。松田聖子さんも聴いてました。あ、でもね、音を調べてみると松田聖子さんの曲を書いているのは大瀧詠一さんだったりユーミンさんだったり細野晴臣さんだったりしたんです。だからアイドルとして聴いていたというより、サウンドとして好きだったんでしょうね。

清水さんが同じレベルで音楽の話をできる友だちはいましたか?

当時は洋楽好きは意外といて。高校時代はちょうどテクノブームがきていたので、髪をテクノカットにしている子とかもいたんです。でも田舎だったのでクラスに2、3人くらいかな。隣町の静岡市に「洋盤屋」っていう洋楽を売っている店があって、そこに行く時は友だちから「これとこれを買って来て」と頼まれて、一緒に買って来たりもしてました。もちろん渡す前に自分で聴くんだけどね(笑)

 

卒業後の進路はどうされましたか?

音楽に携わる仕事に就きたくて
もがき続けた

高校卒業後は東京に出て英語の勉強ができる専門学校に行きながらレコード屋でバイトをしたりして。でも僕は音楽に携わる仕事しかやりたくなかったし、そこにしか光がなかったから、いつかそこに行き着けるようにもがいていたんです。それで21歳の頃にたまたまあるコンサートプロモーターの会社にバイトとして入ったのがきっかけで、今の仕事が天職になりました。

だから最初からコンサートプロモーターになりたかったというわけではないんです。プロモーターとして働いた10年間はいろんな経験を積んで成熟して、アーティストとも信頼関係を結ぶための時間だったのかなと思っています。

 

初めてフェスを体験した時の感動って覚えていますか?

イギリスのレディングで
自由な空気、動員数に圧倒された

初めてフェスに行ったのは、’90年代のはじめのイギリスのレディング・フェスティバル。6万〜10万人のお客さんがいて、広い草原のような敷地にステージが3つほどあって、自分の好きなアーティストを観て回るという自由さにも感動したし、とにかく圧倒されました。今は消防法で禁止されているんだけど、暗くなるとみんなが至る所でキャンプファイヤーをしてその光景がすごくきれいで、いつかこれを日本でもやりたいなと思ったんです。会社を立ち上げたのが’90年、その後海外のフェスを経験しながら、10年後、2000年にSUMMER SONICを始めました。

 

SUMMER SONICを立ち上げた時の思いを聞かせてください。

都市型フェスを立ち上げることが
使命だと感じていた

とにかくフェスを日本でやりたいというのは夢で、絶対にやらなきゃいけないという使命感もありました。’97年にFUJI ROCK FESTIVALが始まって今の日本のフェス文化を作ったし、変えたんです。ただ、FUJI ROCKは日帰りで帰れるような場所じゃない。イギリスのグラストンベリー・フェスティバルのように、田舎でキャンプして音楽を体感するというフェスです。僕が最初に行ったレディングは、ロンドンから電車で1時間半ほどだから、夜帰って来れるんです。

僕はそういう都市型のフェスを日本でもやりたくて。高校生でもSUMMER SONICなら行けるでしょ。親も許してくれる。そういう敷居の低い、みんなの参加しやすいフェスを作りたいと思っていました。東京と大阪の二大都市で行うことも、日本のどこからでも行きやすい場所ということで考えました。大物アーティストが東京/大阪でライブして、翌日移動して大阪/東京でライブすることに、最初は周りから「絶対無理だろう」と言われました。

でもイギリスでその少し前に同じようなスタイルのレディング&リーズ・フェスティバルが始まったので、時間に正確な日本人ができないはずがない、絶対にできる、という気持ちで進めました。実際、制作チームも移動のチームもしっかりと時間を管理して、実現できることを証明することができました。

FUJI ROCK FESTIVALとSUMMER SONICは日本のフェスの先駆者ですね。

日本でもこれだけたくさんのフェスが行われているけど、海外で知られているのはこの2つなんです。そういう意味では僕らは本当に頑張らなきゃいけないとは常にFUJI ROCKとSUMMER SONICで話しています。やっぱり世界から憧れられるようなフェスを作らなきゃいけないという気持ちでやっています。

今は日本でもたくさんのフェスが行われていますが、海外で知られているのはFUJI ROCKとSUMMER SONICです。そういう意味では本当に頑張らなきゃいけないし、世界から憧れられるフェスを作らなきゃいけないという気持ちでやっています。

フェスの主催者同士で交流ってあるんですね。

例えばロッキング・オン・ジャパンとクリエイティブマンプロダクションが一緒に「JAPAN JAM」を開催したりもしていますし、FUJI ROCKとは海外アーティストの情報を共有したりもしています。呼びたいアーティストってどこも重なるから、オファー合戦になるんです。でもこちら側が共有しておかないと、海外側から「あっちはギャラいくらに上げたよ」とか嘘を言って交渉してこられることもあるから、最終的に決まったとしても予算が圧迫されて健全ではない。だから今はお互いに共有して話し合うようにしていますね。

 

これまでに絶体絶命なピンチってありましたか?

電気が止まってヘッドライナーが
ライブできない危機に!?

フェスは始まったら何かあったとしてもどうにか終わるとは思っているんだけど、トリのヘッドライナーがステージをできないかもしれないというのは一番きついですね。

フェスの照明やPAはすべて電気で動いているでしょ? フェスはあれだけの電気を電源車から供給しているんだけど、一番ソワソワしたのは、オアシスがヘッドライナーをした年に、電源車の電圧が上がって、「ポンッ」って音がして電気が通らなくなって、マリンスタジアムが一気にすべて止まっちゃった時。それがもう本当、オアシス出演の手前で。そこら中の電源車を持って来て作業して、40分後にはちゃんとライブができたんですけど。これは慌てましたね。それ以降は電源車もサブで補充するようになりました。

 

実際清水さんはSUMMER SONICに向けてどう動いているんですか?

オファー合戦に勝つため
1年以上前から動いている

今の時点で来年のブッキングはすでに考えています。今はアメリカでもヨーロッパでも至る所で何十万人が入る規模のフェスができているから、アーティストの取り合いなんです。それに勝つには、早くから動く必要があります。

そして「来たい」と思ってもらえるようなフェスでなければいけない。今年のサマソニのように、東京2日間で12万人、大阪2日間で8万人、合計20万人のチケットをいち早くソールドアウトさせることも交渉の際のアピールになるんです。僕らはサマソニだけでなく他にもフェスを開催しているし、来年1月から「GMO SONIC」のように企業と組んで行う形のフェスも始めようとしているので、絶えずフェスのことを考えていますね。

休む暇がないですね!

休んでいますよ! 旅行が好きだから旅行も行くけど、休んでいるけど頭は動いているという感じかな。海外の街角やテレビで知らないアーティストを見つけたら、すぐにエージェントを調べて連絡することもできるし、普段の生活が仕事と直結している感じですね。

海外出張では実際何をされているんですか?

サマソニが終わって9月、10月は必ずロンドン・NY・LAのエージェント参りをします。音楽業界って日本だとレコード会社と事務所がほとんどとりまとめていると思うんだけど、海外だとコンサートやCM契約を行うという時にはエージェントが入るんです。

エージェントがいろんなアーティストを持っていて、僕らはそのエージェントと契約します。NYのエージェント会社で何十人に会って、また別の会社で何人か会って、LA、ロンドン…と数十人の人たちに会っていきます。顔を合わせて会話する中でないと入ってこない情報がやっぱりあるんです。先日もスペインのプリマべーラのフェスに行って、ステージのバックヤードに集まっているエージェントから情報をもらったりしていました。フェスやイベントに合わせてエージェントに会いに行くことも多いですね。

ブッキングに際して、必ず清水さん自らがすべてのアーティストの音楽を聴かれるとお聞きしました。

まず知らないアーティストにオファーするというのは失礼なので音を聴くことは当然だし、僕がいろんなライブを観に行くのは、観てサマソニに出てもらっている景色が思い浮かぶかを重要視しています。

もともとロック中心のフェスだったけど、ある時期からHIP HOPやポップの方にも広げないと動員が増えないなということでブラック・アイド・ピーズやリアーナにオファーするようになったんですが、その時もライブを観てマリンステージで彼らがライブをして最後に花火が上がる光景が浮かんだんです。逆に音楽は好きだったけどライブを観てみると全然違ったということもありますから、自分の目でライブを観ることはとても重要です。

 

お仕事の大変なところ・感動するポイントを教えてください!

スタッフ・お客さんみんなが
楽しんでくれたことを感じられると嬉しい

フェスの大変なところは、僕の場合はブッキングの時だけど、準備段階ごとに忙しいチームが違って、プロモーションが始まるとチケットを売るチーム、チケットが売れればステージなどを作っていく制作チーム、海外アーティストのホテルや移動手段などを手配するトラベルチーム、通訳さんの手配など、さまざまなチームが順番で動いていきます。そのすべてが集約されて当日みんなが一斉に動き出すんです。

働いているスタッフも当日はそれぞれの感動のポイントがあって、ビーチステージ担当であれば夕暮れになって暗くなっていくビーチにいい音楽が流れる瞬間だったり、マリンステージ担当であれば最後に花火が上がる瞬間だったり、いろいろなんだよね。それはお客さんも同じで、同じフェスに参加していても観ているアーティストも回り方も違うし、一人ひとりの感動のシーンがあって、それがフェスの楽しさかなと思っています。

だから僕は自分の感動もあるけど、みんなが楽しんでくれたということを感じられた時が一番充実した気持ちになるかなと思います。


▼清水社長が心掛けている3つのこと

  1. 力を持つこと

    この10年は立場の強い人間、発言力のある人間になることを意識しています。自分が強くなればなるほど、人を助けることができるから。僕も経営的にすごく厳しい時があって、そういう時って自分のことだけで精一杯で本当にギリギリなんだよね。そんな時に助けてくれたのは強い人、余裕がある人でした。次は自分がそうなりたいと思っています。これは今企業家として一番思っていることですね。

  2. 自分のブランドにこだわる

    「SUMMER SONIC」という自分たちのブランドにこだわっています。海外のフェスを日本に呼ぶこともあったんだけど、やっぱりうまくいかないんです。クリエイティブコントロールもできないし、彼らの言いなりになることが多くて、経費もかかるのに彼らのブランドの宣伝をしていることになる。そこで自分たちのイベントにはすべて「SONIC」という名前を入れることにしました。

  3. メールの返信は早くする

    僕は海外とのメールのやりとりが圧倒的に多くて、朝見ると何十、何百件ってメールが届いているんです。絶えず何百人とコンタクトを取りながら進めているので、できるだけメールの返答は早くするようにしています。

 

社長の朝ごはん&モーニングルーティン


清水社長

僕は特に朝絶対に食べるとか決まったルーティンはないんですが、唯一コンビニなどでも売っている小さな「黒酢」を1本飲んでいます。僕らの会社は朝11時スタートで、奥さんはもう少し早く仕事に出るので、朝食はお味噌汁とかスープとか作り置いてくれているものを食べています。だから必ずする朝のルーティンは「美味しかった」と奥さんに連絡することかな(笑)



高校生へメッセージ

僕は怠け者な高校時代だったんだけど、今こうして田舎から東京へ出て会社を持って好きな音楽の仕事ができているなんて、高校時代の自分に「お前、将来社長になってクイーンとか好きな洋楽アーティストを日本に呼んでフェスができてるよ」なんて言ったら「絶対そんなはずがない」と言うと思うんです。それくらい考えてもいなかったことだから。

でも実際、そういうことって起こりうるんです。誰にでもチャンスはあるから諦めないで。僕は音楽の道に進むと決めて、ある時道が開けてコンサート業界に入った。そこでは本当に一生懸命にやりました。だから自分がやりたいことが見つかったら、そこからは一生懸命やってください。好きなことを仕事にすると生活も幸せになると思います。

取材を終えて

りな(高3) 海外のフェスで体験して感動したものを日本で自分でやろうという行動力にまず驚きました。最初周りに反対されていたものを実現させたことが本当にすごいし、私もどんどんチャレンジしてみようって思えました。人に優しく手を差し伸べられるように強くなるという考えも素敵でした!

るりか(高3) 「暗かった」とおっしゃっていた高校時代から、今は社長さんになってこうして好きな音楽で仕事をされていて、私も今後の人生に希望を持つことができました。「人に優しくするために強くなる」という言葉がとてもカッコよかったです。私もサマソニに参加してみたいと思いました。

ゆい(高2) ピンチがあっても動じずにに対応することや、すぐ行動に移すことは、柔軟さなしにはできないことだと思います。流行りや集団での行動が多い高校生活の中で、周りに流されたり型にとらわれた考えをしてしまいがちなので、社長のように自分が好きという気持ちを大切にしていきたいと思いました。

ゆうき(高3) 会社設立から10年後にサマソニを始めたことについて、「この10年は必要だった」とおっしゃっていましたが、たくさんの新しいことに挑戦されながらも、海外での前例などをしっかりと知った上で行動されている社長。僕もさまざまな経験をして、計算した上で、新しい挑戦をしていきたいなと思います。

清水直樹Naoki Shimizu
‘65年、静岡県出身。高校卒業後、専門学校に進学し、上京。’87年、コンサート・プロモーターの会社に入社。’90年、クリエイティブマンプロダクションの立ち上げに参加。’97年、同社代表取締役に就任。’00年、日本初2大都市同時開催フェス「SUMMER SONIC」をスタート。洋楽を中心としたプロモーターとして海外アーティストの招聘および興行、国内外アーティストのコンサートやイベント・フェスの企画・制作・運営などを行っている。